めいきんぐ・おぶ・うぇぶさいと

コンピューターとの出会い
  1. 当時のコンピューター事情(80〜90年頃)
  2. 自分とコンピューター





1.当時のコンピューター事情(80〜90年頃)

 まず最初に当時のコンピューター事情をお話しましょう。今から10年ほど前90年代に突入した頃は、Windows95なんて影形もなく、日本のパソコン勢力図はNECの一人勝ちの状態でした。つまり、パソコン買うならNECの98(PC9800シリーズ)というのが、決まり文句だった時代です。使われているOSは、NECの日本語MS-DOS(マイクロソフト社のMS-DOSを日本語化し、98シリーズでしか使えないOS)。アプリケーションソフトに目を向けると、ワープロなら一太郎、表計算はロータス123が、君臨していました。
 ネットワークに関しても、LAN(ローカルエリアネットワーク)、WAN(ワイドエリアネットワーク)の方の関心が高く、インターネット、WWW、それ何?ってな感じでした。当然、ネットスケープやインターネットエクスプローラーなんてあるはずもなく、後にネットスケープ社を作ることになるNCSAのチームがNCSA MOSAICというソフトを作っていた頃です。ハイパーテキストで、画像が映るのは便利だったんですが、転送速度も遅く、画像がこんな遅いので役に立つの?、とか言われていました。また、NCSA MOSAICはGIFしか使えず、JPEGはヘルパーアプリケーションが必要で、めんどくさいなあ、とか言いつつ、見ていた頃です。
 ホームページも今ほどなく、ほとんどが企業(コンピューター関連メーカーなど)や大学などの試験的なページで、個人のページなんて、数えるほどしかありませんでした。これは、まだ、当時、個人向けプロバイダがほとんど存在していなかったことも、個人ページが少なかった理由です。この頃、プロバイダの先駆けとしてIIJ(あいあいじぇい)が設立されましたが、企業向け、専用回線が主で、契約しようと思うと、月々うん万円からうん十万円を支払わないといけなく、とても個人が手の出せるレベルではなかったのです。
 このような状況でしたから、初期の頃、個人には敷居の高かったインターネットでしたが、大きな大学ではインターネットの設備は結構充実していました。つまり、設備費にお金がかかるため、個人では利用できない。→当時、文部省の音頭取りで、国のお金で広域大学間ネットワークのS1ネットワークが作られた。→後にWIDEプロジェクトと合体し、インターネットの回線として使われるようになる。→各地域の基幹大学の学生は、この設備を使って、インターネットを利用することができる→でも、あまりノウハウがないので、結構自分で勉強しなければならない。→結果、チャレンジした大学生は、自然とネットワークやインターネットに強くなる。→ホームページを作ったりする。と、この様な経緯で、インターネットが普及し始めた頃、大学関係(大学生や院生など)にネットに関する知識の豊富な人が多かったのです。大学のドメイン名を持った、ホームページなども多かったわけです。
元もと、インターネット(WWWのことを指すのではなく、ネットワークというインフラ的な設備のこと。電子メールやファイルシェアリング、リモートアクセスなど)自体、アメリカの国防相(軍関係)が音頭をとって開発した技術で(もちろん大学関係者もかなり参加しましたが)、政府主導のものだったのです。当然、実験的な要素が高く、個人レベルで使うことは前提になっていませんでした。このような素因は現在でも残っていて、例えば、アメリカだけ、2文字の国別ドメイン名が付かずに、3文字の種別ドメインが付きます。これは、元もと、アメリカ国内に限って使用する予定だったからでしょう。
 このような中で、bekkoameなどが個人向けプロバイダとしてサービスを開始し、個人レベルでも、ようやく手の届くところに来たのでした。だから、日本で初めてホームページを個人で作ったのは、bekkoameのユーザーの方だったとお思います(以前、雑誌に載っていましたから)。




2.自分とコンピューター

 さて、自分のことに話を移してみましょう。
 私とパソコンとの出合いは、高校生時代まで遡ります(80年代)。当時初めて触れたパソコンがNECのPC-8801。まだ、マイコンとかいう言葉が通用していたところです。NECのPC8001、シャープのMZ80、富士通のマイクロ8など、往年の名機が幅を利かせていました。手作りのコンピューターも充分通用していました(今のようにマザーボードを買ってきて組み立てるのではなく、マザーボード自体を作っていました)。メーカーが独自ブランドでコンピューターを作って売り始めた頃です。言語もBASICとか、マシン語、COBOL、FORTRANとかが有名でした。共通のOSという概念は、まだパソコンには無く、各社独自の規格でパソコンを動かしていましたから、ソフトなんかもばらばらでした。
 初めて触れたPC-8801は、もともと、機械科出身のおやじが、パソコンがブームになるとか言うので、購入したものです。世間一般のおやじと同じで、買ったはいいが、その後はまったく触れないという状況となっていました。構成は、PC8801本体、モノクロディスプレイ、テープレコーダーでした。これだけでも、当時30万円はしました。5インチFDドライブなんかは既にありましたが、1ドライブ40〜50万していて、あこがれの的だったた頃です。
 そういうわけで、私のおもちゃと化したんですが、市販のソフトなんかは高くて手がです、もっぱら、パソコン雑誌に付いてきたBASICやマシン語でかかれたゲームプログラムを入力しては、遊んでいました。今にして思えば、ちゃちなものでしたね。クリエイティブなことをするわけでなかったので、すぐ飽きてしまい、しばらくして、あまり触らなくなりました。受験勉強で忙しくなったこともあるんですけどね。一浪したものの、無事大学に受かり、入学祝いにパソコンを買ってもらう約束をしていたものの、下宿の部屋が狭く、パソコンがおけない状態だったので、しばらく買わずにいました。卒業する頃に、卒論を書かなくてはならないから、その時購入しようということにしていました(当時も今もパソコンは数年で時代遅れになる)。数年間、パソコン触れない時期があった間、世間では、大きな変化がありました。そう、MS-DOSの登場です。BASICをちょこっといじってコンピューターから離れていた私は、MS-DOSもコンピューター言語の一種のようなものと当初考えていました(OS(オペレーションシステム)なんて概念は、それまでパソコンレベルではあまり聞かなかったものですから)。
 そうこうしているうちに、大学の方でも講座に所属し実験をするようになり、実験データをパソコンで解析するようになりました(専攻は理系でしたが、コンピューター系ではなく生物系でしたので、プログラムをばりばりやっていたわけではありません。普通のエンドユーザーです)。当時はパソコンと言えば、NECの98シリーズ全盛でしたから、当然講座のコンピューターもPC-9800。NECの日本語MS-DOSの上に、ロータス123や一太郎などが入っていて、それらを使っていました。
 当初の予定通り、「そろそろパソコンを買うべ」ということで、機種検討に入り、安いEPSONの機種を買うところまで決まっていました。今週末にはお店へ行って買おうとしていたときに、一大転機が訪れたのです。そう、当時98全盛だった時代に何があったのか、講座にAppleのMacintoshが1台入ったのです。今のものと比べると、だいぶ(ものすごく)ちゃちな「Classic」です。モニタはモノクロで8インチしかなく、ハードディスクは40MB、メモリは4MB。日本語はアウトラインフォントがなく、プリンタでうちだしてもぎざぎざ(MS-DOSも同様でしたが)。CPUの能力も決して速いとは言えず、ハード的には、どうってことないマシンでした。しかし、キャラクターベースでコマンドを打ち込んで命令するMS-DOS系の98しか知らなかった私は、グラフィカルユーザーインターフェース(GUI)(キーボードからコマンドを打ち込んでコンピューターに命令するのではなく、画面上のアイコンをクリックしたりして命令する)のMACにものすごいカルチャーショックを受けたのでした。
 これを転機に、一気にMAC党に傾いていった私は、98機をやめて、Macintosh SE/30を購入することになりました。APPLEはアメリカのメーカーでしたから、英語は強かったのですが、日本語環境は98にはかないませんでした。パソコン使う目的がワープロや表計算だけだったら、98を選んでいたでしょうが、論文用のイラストや図を描くためのソフト、科学技術系のフリーウェアソフトなども使いたかった私には、MACの方が魅力的でした。それほど、GUIには衝撃を受けたということです。それに、自然科学系の研究者にとっては、日本語より英語の方が使用頻度が高いんですよね。だから、日本語環境の劣悪さにはそれほど不満はありませんでした。それよりも、コマンドを覚えずに簡単にソフトが使えることの方がうれしかったです。
 こうして、私の本格的なパソコンライフがはじまったのでした。




ホームページ 「めいきんぐおぶうぇぶさいと」の目次